「アンクルトムの小屋」を訪ねて

ボストンからカナダ側のナイアガラの滝へ行き、夜は滝のライトアップと花火を見てから、翌朝シンシナティへと向かった。
リンカーン大統領が「南北戦争を起こした小説アンクルトムの小屋を書いたのはあなたですね。」と声をかけたストウ婦人の家がシンシナティに保存されている。今回の旅でどうしても訊ねたかった場所の一つだった。
小学1~2年の担任だった小沼のぶ先生は、給食時間に毎日少しずつ「アンクルトムの小屋」を読み聞かせてくれた。私はトムの理不尽な境遇が可哀相で泣きながら給食を食べた。先生は社会党の委員長だった浅沼稲次郎が殺された翌日の朝礼で、まだたったの小学2年生だった私たちに語りかけた。「昨日、浅沼稲次郎先生が暴漢に襲われ亡くなりました」と。その後は正確には覚えていないけれど、確か「日本は民主主義国家になったのだから暴力で言論を封じ込めるのはよくない」的なことを言ったように記憶している。

真摯に児童と向き合おうとしていた先生

厳しかったし年配なので体を使って遊んでくれなかったこともあって、正直言って当時私は先生をあまり好きではなかった。しかし今になって考えると、先生が私たちに真摯に向き合ってくれていたことが良くわかる。あの時先生が教えてくれたことが今の私を形作っているとしみじみ感じる。恩師は?と訊かれたら、迷わず小沼のぶ先生と答えるだろう。ストウ婦人も教師だった。そして夫人の家は地元の教師たちが保存のために修復し維持管理している。中で案内している人たちも元教師のボランティアの人たちだ。教師とはなんと素敵な仕事なんだろう。

アメリカとカナダの国境で高速道路の料金場のようなイミグレーションに並ぶ車の長い列。

ゲームセンターが建ち並ぶ、日本の昔の温泉街のようにけばけばしいカナダ側の町のクリフトンヒル通り。

実物大のストウ婦人のパネルと一緒に。この小柄な女性が書いた本が南北戦争のきっかけになった。

NYのブルックリン橋より古い、シンシナティの象徴であるジョン・A・ローブリング橋。

シンシナティ名物、手前がチーズがたっぷり乗った3wayチリスパゲティ、奥がホットドックの3wayチーズコニー。なぜか1品に1個づつクラッカーが付いてくる。

シンシナティはチリ(ひき肉と玉ねぎ、豆を煮込んだ料理)の町。手前はスパゲティにのせたBowl,右奥はパンに挟んだチリコニー。どちらもチーズがたっぷりのっている。

博物館になっている「ストウ婦人が住んでいた家」。募金によって今も修復が行われていた。