憧れのゲバラ

私が大学生だった1970年頃は学生運動の真っ盛り。若者たちの憧れはキューバ革命を成し遂げ夭折したチェ・ゲバラ。まずは革命広場のかの有名なゲバラのモニュメントを見に行った後、今は記念館になっているゲバラが住んでいた家を見学。もちろん入場料は国民が10クップ(約1ドル)、外国人は10倍の10クック(約10ドル)だ。

革命はキューバの人を幸せにしたのか?

映画などで観るキューバは、恒常的な食糧不足、停電、性的マイノリティへの迫害など、米国へ不法移民する人も多い国として描かれていた。果たして革命はキューバの人を幸せにしたのだろうか知りたかった。
実際に行ってみると、確かにみんな貧乏で食糧品は種類も量も少ない。衣料品や電化製品なども古くて高い。ハバナでは時々停電があり、停電になると水も出ない。
しかしどの町に行ってもどこかで生演奏の音楽が鳴り、市井の人々はバレエやダンスなどの芸術を愛し、読書好きでとても文化的、精神的に豊かな感じがした。そして前号にも書いたが、女性と子どもにとっては日本よりも生き易いのではないかとさえ思えた。

バーの壁にさり気なく・・・

「路地裏のバーは外国人を受け入れないがリオ・ラ・プラタは違う」とある本で読んだので探しあて何度も通ってモヒートやダイキリを飲みまくった。日本語はもちろん簡単な英語さえも全く通じない。マスターや客とは辞書を引きながら片言のスペイン語で意思疎通を図った。(当時スマホの自動翻訳アプリはなかった。あったとしてもネット環境がない。)
ふと壁を見ると「Viva La Revolución」という紙が貼ってあったので聞いてみた。「革命があって良かった?」と。マスターは「昔は小作農でいつも腹がへっていた。今はバーをやって酒も飲める、幸せだ。革命のお陰だよ。」と笑って答えた。

品物がほとんどないハバナの配給所
地方の配給所には卵も小麦粉もその他の日常品もあった

バラコアの野菜の引き売り
キューバの野菜は完全無農薬で美味しい
経済制裁で肥料や農薬がないからだ

サンティアゴ・デ・クーバの広場で演奏していた生バンド
1ドルで希望を聞いてくれた

バー・リオ・ラ・プラタ(黄金の河)のマスター
お別れに現地の人ご用達の葉巻を1ダースくれた