入国時の差別的視線にカウンターパンチを!

13時間遅れでキューバを出た飛行機は真夜中に首都サントドミンゴに着いた。「まずはホテルを探さなきゃ」と思いながら、入管でパスポートを出すと係員が隣の空港職員とこちらを見ながら何やらコソコソ話をしている。「なんかまずいのかな?!」と聞き耳を立ててみたがスペイン語でさっぱり解らない。しかし、「ハポン(日本)」という言葉を言う時の彼らの眼差しの中に何やら侮蔑的なニュアンスを私は感じ取った。
海外で黄色人種ということで侮蔑的な扱いを受けたことが何回かある。ニューヨークのマクドナルドで、スウェーデンの空港で、オーストラリアの入管でも。しかしその度にひるまず撥ね退けてきた。ここでも黙って済ます訳にはいかない。ふと見ると認証用のカメラがキャノン製だった。私はカメラを指さし大袈裟に「おおキャノン!メイドインジャパン!me too」と聞えよがしに言った。すると彼らは差別がばれたと察知して慌てて作り笑いを浮かべパスポートを返してきた。

差別の歴史は根深く

ドミニカは70%以上がムラートと呼ばれる白人と黒人の混血である。第2次世界大戦前から中国人の、後からは日本人の移民が始まったが、与えられた土地が荒地で誰もが一応に貧しかった。ドミニカ人は彼らをまとめて「チーナ」と呼んで蔑んできたという。差別意識を教育によって徹底的に正してきたキューバとのあまりの違いに愕然とした。
数日後に行ったリゾートホテルの受付でもとても無礼な扱いをされたのでマネージャーにクレームを言った。彼女は非礼を詫び夕食時に好きなワインをサービスすると言うので「辛口の白のスパークリングワインを、ドンペリとまでは言わないけどね。」と答えた。その日の夕方、予約していたレストランに行くとなんとキリッと冷えたドンペリが出てきた。生まれて初めてのドンペリは勝利の味がした。

サントドミンゴの日系二世ご夫婦が経営する土産店でラリマールを購入。
小さい頃は貧しくてとても苦労したと話してくれた。

ホテルの部屋から見えるカリビアンブルーの海。
キューバと比べるとどの食事も洗練されていて美味しかった。

1993年のコロンブス上陸五百周年を祈念して開館したサントドミンゴの日本記念館。
宮沢首相が送った祝意や日本の歴史が展示されている。

サントドミンゴの中華街にあった中国人移民の像。遠く中国の方角を向いているとか。

焼きたての色々な肉を希望するだけサーブしてくれるバーベキューレストラン。
この後、ワインクーラーに入ったドンペリが出てきた。