米大陸初めての植民地都市

ドミニカ共和国は、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、嘗ては「イスパニョーラ(スペイン)島」と呼ばれていたカリブ海最大の島の東側に位置する。西側はハイチ共和国。この島を拠点にスペインのアメリカ大陸征服が始まった。首都サントドミンゴはヨーロッパ人が定住した最初の植民地都市で、米大陸で初めての大学と大聖堂、要塞が建設されたことから世界遺産に登録されている。

歴史を感じさせる500年前のホテル

私たちが泊まったホテルは世界遺産のソナコロニアルの中にあり、植民地時代の総督府を改装したオスタル・ニコラス・デ・オバンド。500年以上前の造りで部屋は窓が小さく昼間でも薄暗いが、外が30度以上になっても中はひんやりとして涼しい。ここが米大陸征服の司令塔だったと思うと、まるで歴史の中にいるようだった。

何処へ行ってもコロンブス

ホテルの前には嘗てコロンブスの遺体が安置されていた米大陸で最初の大聖堂、アメリカ首座大司教座聖堂、その前の丸石で舗装された最古の街路を下って行くと右手に最初の要塞オサマ砦、そのまま進んでいくとコロンブス一族の居城コロンブス宮殿がある。どれもこれも全て世界遺産だ。
町の中心部にはコロンブス広場、その真ん中にコロンブスの像。また郊外には新大陸発見五百周年を記念して建てられた巨大な「コロンブス記念大灯台」がある。全くこの町ときたら何処へ行ってもコロンブス!コロンブス!である。
ヨーロッパ人にとってはアメリカ大陸を「発見」したコロンブスは英雄でも、先住民にとってそれは大虐殺の始まりだった。歴史はどちら側から見るかで評価が全く違うし、時代が進むことで評価が変わることもある、ということを忘れないようにしたいと思う。

500年前は植民地支配の総督府だったホテルの二階からのパティオ(中庭)の眺め

アメリカ首座大司教座聖堂の中。
写真の正面に嘗てコロンブスの遺体が安置されていた。

コロンブス宮殿と広場。
広場の反対側にはレストランの野外席が設けられ、賑わっていた。

アメリカ首座大司教座聖堂。
中に入ってコロンブスの遺体が安置されていた棺を見学することも出来る。

コロンブス宮殿の中にはこんなお遊びも。

中は博物館のようになっているコロンブス記念大灯台。
コロンブスの墓があり、遺骨が安置されている。

コロンブス広場にある新大陸の方を指さすコロンブスの像。
市民の待ち合わせ場所でもある。