アメリカナイズされているパナマ・シティ

ホンジュラスから飛行機でパナマへ飛んだ。パナマ・シティの旧市街「カスコ・ビエホ」と植民都市の廃墟「パナマ・ビエホ」は世界遺産である。私たちはこの頃は比較的安全になったといわれている旧市街「カスコ・ビエホ」にホテルを取った。旧市街は何処へ行ってもバルコニー付き建物や壮麗なカテドラル、劇場などのコロニアル建築があり、歩いていてとても楽しい。
旧市街から北東へ新市街を超えて行くと、1519年にスペインが太平洋側で最初に築いた植民都市の廃墟「パナマ・ビエホ」がある。町は繁栄したが、1673年にイギリスの海賊ヘンリー・モーガンに襲われ廃墟と化した。中南米の歴史を見ると、スペインが植民地化した後にイギリスが海賊となって襲うという構図のなんと多い事か。そうやって「日の沈まぬ国大英帝国」が出来上がった。まぁどちらの国も盗人であることには間違いない。

パナマと言えばパナマ運河

パナマ運河では旧市街から一番近いミラフローレス水門で船が通過するのを見た。入るとすぐに博物館があり、次の通過まで見学して時間を潰すことができる。屋上の見学場所には世界中の観光客がびっしり。待っていると右手の方から船が来て真ん中のドックの水位が上がると右手の門が開いて船が真ん中まで移動する。次に真ん中の水位が下がると共に船も下がり、左手の門が開き船は左手へと進んで行く。その間約30分。標高差26mをこうやってクリアするんだ?!といたく感心した。この運河見学で今回の旅で初めて日本人の観光客に出会った。やっと普通の観光地に戻って来たようで何だかホッとした。

パナマ・シティの旧市街「カスコ・ビエホ」の街並み。バルコニー付きはスペインコロニアル建築の特徴の一つ。

パナマ運河のミラフローレス水門の屋上で船が通過するのを見学する世界中から来た観光客。

新市街にあるパナマの郷土料理と伝統舞踏が楽しめるレストラン「ティナハウス」にて。

カテドラル前で「15歳のお祝い キンセアニェーラ」の写真撮影をしていた家族。ラテンアメリカでは女の子は15歳で成人になる。

植民都市の廃墟「パナマ・ビエホ」のカテドラル跡の鐘楼。遺跡公園の中には博物館があり、スペイン人の中米入植や「パナマ・ビエホ」の歴史を見る事ができる。

植民都市の廃墟「パナマ・ビエホ」のカテドラル跡の鐘楼。遺跡公園の中には博物館があり、スペイン人の中米入植や「パナマ・ビエホ」の歴史を見る事ができる。

旧市街から眺めたパナマ・シティの新市街。高層ビルが建ち並ぶアメリカナイズされた街だ。ここを抜けて北東へ約6㎞行くと世界遺産「パナマ・ビエホ」に着く。